2013年10月9日水曜日
9日 鶏唐卵とじ弁当
・・・・・今日のお弁当・・・・・
◆鶏唐の卵とじ
◆ひじきの炒め煮
◆里芋の煮っ転がし
◆れんこんとメンマのピリ辛炒め煮
◆ご飯
今日は秋っぽい感じで、落ち着いた色味にして見ましたー、ってただ地味なだけ。
鶏唐のアレンジ2は、卵とじ。
長ネギとしめじを加えて。
まあ、よくあるパターンで。
今日のお弁当は、里芋意外は食材昨日と同じでしたねー。
その辺は、あんまり深く考えてません。
今日は、一回書き終わったのに保存が正常に機能しなくって、ほとんどパアになってしまい、書き直した。
言葉は閃いて書くので、書き直すとどんな言葉書いてたか思い出せなくって、ガックシ。
あれー?もうちょっといい感じの表現だったはずなんだけどー、何だっけな、ってさ。
・・・・・今日の本・・・・・
◆下に見る人
酒井 順子(さかい・じゅんこ)
お気に入りの酒井さんですがー、これは『本の旅人』に連載していたものですね。
って、別に『本の旅人』を読んだ事あるわけじゃーありません。
ってことで、まずはあとがきより、
子供の頃から今に至るまで、他社を下に見る事によって満足感を得るという行為を繰り返してきた。
下に見たり下に見られたりの繰り返しの中で、生きて来た。
人を上とか下とか分けずにいられない病が不治のものであるならば、その病の存在を自覚し、表には出さないということが必要なのではないか。
それがせめてものマナーだろうと。
あとがき最初にってのもどうかと思うけどー、って別にこの本があとがき最初に書いてあるって訳じゃないから。
彼女の言いたい事は、これだろうなーって思ったのと、それをそれ以上に上手くアレンジできないなーって思ったんで、そのまま拝借です。
きっかけは、新聞を読んでた時に、いじめの加害者だったと言う人の記事を目にし、今までいじめの被害者の声はよく聴くけど、加害者の声はほとんど聴いた事が無かったことを思い、いじめの理由も世代によって微妙に変化していると感じ、
だけど、共通してる心理が「他人を下に見たい」という欲求なのではと、分析する。
自分がどんな立場にいようと、大人であれ子供であれ、他人をどうにかして下に見ることによって、自らの精神の安寧を得ようとする人が、わが国にはやたらと多いのではないか。
もちろん自分もその一人で、集団で行動をすることが始まった瞬間から、今までの人生の様々な局面において、他者を下に見る事によって、安心したり自信をもったりしてきた。
その時の行為と心理をすこしづつ思い出しつつ、「なぜ私は、そうしてしまうか」ということを、考えて見たい。
って事で始まったこの題材。
小学生の頃の子供にありがちな残酷な遊び(?)から始まり、今考えればかなりひどいことだと判るニックネーム。
テレビの話や、思春期にありがちなあれこれ。
大人になったらなったで、仕事や人間関係。
もうあらゆる場面で、上下がつきまとう。
他人と自分を比べてはダメとはいうけども、それは正論で、なかなかそうはいかないものだし、比較しない世は発展しない世であって、「上に行きたい」と思わなければ経済jは停滞し、国力は下落するであろう、という結論。
まあ、そこまで厳密に分析しなくっても、日常的に大なり小なり比べる場面はあるよなー。
自分はそんな事しないって人だって、分析したのを読めば、こういうこともあるかーって思い当たることはあると思うヨー。